残業代請求|福岡の司法書士 にじいろ法務事務所

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最高裁昭和43年12月25日大法廷 判決・民集第22巻13号3459頁

2016-09-26

主    文

本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。

理    由

上告代理人古沢斐の上告理由について。

一、おもうに、多数の労働者を使用する近代企業において、その事業を合理的に運営するには多数の労働契約関係を集合的・統一的に処理する必要があり、この見地から、労働条件についても、統一的かつ画一的に決定する必要が生じる。そこで、労働協約や就業規則によつて、まず、労働条件の基準を決定し、その基準に従つて、個別的労働契約における労働条件を具体的に決定するのが実情である。
ところで、ここでいう就業規則(就業規則の中には労働条件に関する定めのほか、工場・事業場等における管理規律ともいうべき定めを含んでいるのが通例であるが、後者は、一応、ここでは除外して考えることとする。)は、どのような性質を有するか、さらに、経営主体は一方的に労働者の不利益にこれを変更することができるかが問題となる。これらの点について、当裁判所は、次のように判断する。
(1) 元来、「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである」(労働基準法二条一項)が、多数の労働者を使用する近代企業においては、労働条件は、経営上の要請に基づき、統一的かつ画一的に決定され、労働者は、経営主体が定める契約内容の定型に従つて、附従的に契約を締結せざるを得ない立場に立たされるのが実情であり、この労働条件を定型的に定めた就業規則は、一種の社会的規範としての性質を有するだけでなく、それが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり、経営主体と労働者との間の労働条件は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、その法的規範性が認められるに至つている(民法九二条参照)ものということができる。
そして、労働基準法は、右のような実態を前提として、後見的監督的立場に立つて、就業規則に関する規制と監督に関する定めをしているのである。すなわち、同法は、一定数の労働者を使用する使用者に対して、就業規則の作成を義務づける(八九条)とともに、就業規則の作成・変更にあたり、労働者側の意見を聴き、その意見書を添付して所轄行政庁に就業規則を届け出で(九〇条参照)、かつ、労働者に周知させる方法を講ずる(一〇六条一項、なお、一五条参照)義務を課し、制裁規定の内容についても一定の制限を設け(九一条参照)、しかも、就業規則は、法令又は当該事業場について適用される労働協約に反してはならず、行政庁は法令又は労働協約に牴触する就業規則の変更を命ずることができる(九二条)ものとしているのである。これらの定めは、いずれも、社会的規範たるにとどまらず、法的規範として拘束力を有するに至つている就業規則の実態に鑑み、その内容を合理的なものとするために必要な監督的規制にほかならない。このように、就業規則の合理性を保障するための措置を講じておればこそ、同法は、さらに進んで、「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において無効となつた部分は、就業規則で定める基準による。」ことを明らかにし(九三条)、就業規則のいわゆる直律的効力まで肯認しているのである。
右に説示したように、就業規則は、当該事業場内での社会的規範たるにとどまらず、法的規範としての性質を認められるに至つているものと解すべきであるから、当該事業場の労働者は、就業規則の存在および内容を現実に知つていると否とにかかわらず、また、これに対して個別的に同意を与えたかどうかを問わず、当然に、その適用を受けるものというべきである。
(2) 就業規則は、経営主体が一方的に作成し、かつ、これを変更することができることになつているが、既存の労働契約との関係について、新たに労働者に不利益な労働条件を一方的に課するような就業規則の作成又は変更が許されるであろうか、が次の問題である。
おもうに、新たな就業規則の作成又は変更によつて、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されないと解すべきであるが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいつて、当該規則条項が合理的なものであるかぎり、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されないと解すべきであり、これに対する不服は、団体交渉等の正当な手続による改善にまつほかはない。そして、新たな停年制の採用のごときについても、それが労働者にとつて不利益な変更といえるかどうかは暫くおき、その理を異にするものではない。

二、ところで、原判決の確定した事実は、次のとおりである。上告人は、昭和二〇年九月、被上告会社に入社し、D営業所次長(所長事務取扱)の職にあつたものであるが、被上告会社には、上告人の入社当時はもとより、その後も停年の定めはなく、昭和三〇年七月二一日以来施行された「従業員は満五十才を以つて停年とする。停年に達したるものは辞令を以つて解職する。但し、停年に達したるものでも業務上の必要有る場合、会社は本人の人格、健康及び能力等を勘案し詮衡の上臨時又嘱託として新に採用する事が有る」との就業規則五七条の規定も、上告人のごとき主任以上の職にある者に対しては適用がなかつた。ところが、被上告会社は、昭和三二年四月一日に至り、右就業規則五七条本文の規定を「従業員は満五十才を以つて停年とする。主任以上の職にあるものは満五十五才を以つて停年とする。停年に達したるものは退職とする。」と改正し、この条項に基づき、被上告会社は、すでに満五五歳の停年に達していることを理由として、同月二五日付で、上告人に対し、退職を命ずる旨の解雇の通知をしたが、上告人は、右条項について同意を与えた事実はなく、満五五歳の停年を定めた規定は上告人に対し効力が及ばないと主張する、というのである。
ところで、停年制は、労働者が所定の年齢に達したことを理由として、自動的に、又は解雇の意思表示によつて、その地位(職)を失わせる制度であるから、労働契約における停年の定めは一種の労働条件に関するものであつて、労働契約の内容となり得るものであることは疑いを容れないところであるが、労働契約に停年の定めがないということは、ただ、雇用期間の定めがないというだけのことで、労働者に対して終身雇用を保障したり、将来にわたつて停年制を採用しないことを意味するものではなく、俗に「生涯雇用」といわれていることも、法律的には、労働協約や就業規則に別段の規定がないかぎり、雇用継続の可能性があるということ以上には出でないものであつて、労働者にその旨の既得権を認めるものということはできない。従つて、停年制のなかつた上告人のごとき主任以上の職にある者に対して、被上告会社がその就業規則で新たに停年を定めたことは、上告人の既得権侵害の問題を生ずる余地のないものといわなければならない。また、およそ停年制は、一般に、老年労働者にあつては当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにかかわらず、給与が却つて逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために行なわれるものであつて、一般的にいつて、不合理な制度ということはできず、本件就業規則についても、新たに設けられた五五歳という停年は、わが国産業界の実情に照らし、かつ、被上告会社の一般職種の労働者の停年が五〇歳と定められているのとの比較権衡からいつても、低きに失するものとはいえない。しかも、本件就業規則条項は、同規則五五条の規定に徴すれば、停年に達したことによつて自動的に退職するいわゆる「停年退職」制を定めたものではなく、停年に達したことを理由として解雇するいわゆる「停年解雇」制を定めたものと解すべきであり、同条項に基づく解雇は、労働基準法二〇条所定の解雇の制限に服すべきものである。さらに、本件就業規則条項には、必ずしも十分とはいえないにしても、再雇用の特則が設けられ、同条項を一律に適用することによつて生ずる苛酷な結果を緩和する途が開かれているのである。しかも、原審の確定した事実によれば、現に上告人に対しても、被上告会社より、その解雇後引き続き嘱託として、採用する旨の再雇用の意思表示がされており、また、上告人ら中堅幹部をもつて組織する「E」の会員の多くは、本件就業規則条項の制定後、同条項は、後進に道を譲るためのやむを得ないものであるとして、これを認めている、というのである。
以上の事実を総合考較すれば、本件就業規則条項は、決して不合理なものということはできず、同条項制定後直ちに同条項の適用によつて解雇されることになる労働者に対する関係において、被上告会社がかような規定を設けたことをもつて、信義則違反ないし権利濫用と認めることもできないから、上告人は、本件就業規則条項の適用を拒否することができないものといわなければならない。
されば、本件就業規則条項が上告人にも適用があるとした原審の判断は、その過程に叙上と見解を異にする点はあるが、結論において、是認することができ、原判決には所論の違法はなく、論旨は、結局、理由なきに帰し、排斥を免れない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官横田正俊、同色川幸太
郎、同大隅健一郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり
判決する。

裁判官横田正俊、同大隅健一郎の反対意見は、次のとおりである。

一、思うに、契約の内容は、当事者の合意によつて決定されるべきものであり、かくして決定された契約の内容は、当事者において、相手方の同意なくして一方的にこれを変更することができないのが契約法上の大原則であり、このことは、労働者と使用者が対等の立場において決定すべきものとされている労働条件を定める労働契約についても妥当するものというべきである。もつとも、多数の労働者を擁する企業における労働契約については、労働条件を統一的かつ画一的なものとする必要があるので、労働組合法(以下、組合法と略称する。)は労働協約の制度を、また労働基準法(以下、基準法と略称する。)は就業規則の制度をそれぞれ認め、これらによつて労働条件の基準が決定され、その基準にしたがつて個々の労働契約における労働条件が統一的かつ画一的に決定されるよう配慮している。このように、労働協約と就業規則は、労働条件の統一、画一を図る点においてその目的を同じくするものであるが、両者の間には、その法律上の性質において重大な差異があることを見逃してはならない。
すなわち、労働協約は、労働組合と使用者またはその団体との合意による協定であつて、それによつて定まる労働条件その他労働者の待遇に関する基準は、これに違反する労働契約の部分を無効とし、無効となつた部分や労働契約に定がない部分をこれによつて補充する効力を有するものとされているのであつて(組合法一六条)、労働協約には、労働条件の最低限を保障する基準法の諸規定のもつ法規範的効力(基準法一三条参照)に類似する効力が与えられているのである。そして、かくして労働協約により定められた基準は、労働協約、すなわち労使の合意によつてのみ変更することができるのであり、就業規則によつてこれを変更することはもとより許されないのである(基準法九二条一項)。
これに対し、就業規則は、使用者が一方的に作成し、または変更するものであつて、その内容が労働条件その他労働者の待遇に関するものであつても、労働者の合意により決定されるものではない。したがつて、就業規則については、当然のことながら、労働協約について前述したような法規範的効力を認めた一般的な規定は、なんら設けられておらず、わずかに、前示労働協約の場合に比べきわめて限定された範囲でその法規範的効力を認める規定、すなわち、就業規則に定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分について無効とし、その部分は就業規則に定める基準による旨の規定(基準法九三条)が設けられているに過ぎない。そして、冒頭に示した契約の本質論に照らせば、使用者が就業規則により一方的に決定し、または変更する労働条件が、当然に、すなわち労働者の意思いかんを問わず、労働契約の内容となつて労働者を拘束するというような見解は、たやすくこれを肯認することはできない。

二、ところで、基準法が就業規則の制度を認め、使用者に対してその作成、届出、公示という一連の手続を命じている理由を考えるに、就業規則のうち労働条件を内容とするものに関してこれをみれば、それは、
(イ) 労働契約における労働条件の統一、画一を図るためには、まず使用者においてその基準を決定し(必要ある場合には、これを変更し)、これを公示することにより労働者に周知させ、これに基づいて労働契約が締結されることが望ましいからであり、それは、多くの大衆を相手とする保険業において、保険契約の内容の統一、画一を図るため、まず、保険者において普通保険約款、保険料等を決定し、これに基づいて保険契約が締結されるものとされているのとその軌を一にするものと解される。次に
(ロ) 基準法が就業規則の届出を命じているのは、就業規則に基づいて労働契約が締結されることが予定されていることにかんがみ、その内容について行政庁の監督を加え、必要がある場合には行政庁においてその変更を命ずることができる(九二条二項)ようにするためであると思われる。もつとも、基準法の規定を具体的に検討すると、行政庁の右監督の権限はきわめて制限されたものであり、就業規則が労働法の強行規定や労働協約に違反するかどうかの点(九二条一項)に限られており、就業規則の内容、ことにそれが労働者にとつて不利益なものであるかどうか、それが合理的なものであるかどうかなどについては、同法九一条の特異の規定を除いては、なんらの監督的規定は設けられていないことに留意する要がある。このような基準法のたて前は、前述の保険契約については、普通保険約款、保険料等については行政庁による認可の制度や、変更命令の制度が設けられていて、契約内容の適正が保障されているのとその趣を著しく異にするのである。もつとも、保険契約の場合と異なり、そもそも、労働契約の具体的内容の決定は労使の合意にまつのが本筋であり、国家は、労働法が現に定めているような最少限度の規制の範囲をこえ、労働契約の内容の適否、合理性の有無などを論じて、みだりにこれに干渉すべき筋合のものではないのであるから、保険契約の場合との間に相異が生ずるのはむしろ当然のことであろう。

三、以上述べてきたところを総合して就業規則と労働契約の関係を考えるに、就業規則は、これに基づいて個々の労働者との間に労働契約が締結されることを予定して使用者が作成する規範であつて、そのままでは一種の社会的規範の域を出ないものであるが、これに基づいて労働契約が締結されてきたというわが国の古くからの労働慣行に照らせば、使用者としてはこれに基づく労働契約の締結に強い期待をかけることができるのであり、基準法が就業規則の作成、変更に当り労働者側の意見を聴くべきものとしている(九〇条)のも、これに基づいて労働契約が締結される蓋然性を打診させるためのものと解することができる。
そして、前述の労働慣行は単なる事実たる慣習に過ぎないものであり、法たる効力を有するに至つたものとはとうてい認められないので、法律的にこれを観れば、社会規範たる就業規則は労働者の合意によつてはじめて法規範的効力を有するに至るものと解するのが相当である。
もつとも、前述の労働慣行に照らせば、労働者が就業規則のあることを知りながら労働契約を締結したときは、就業規則についても合意したものと解してさまたげなく、また就業規則が変更された場合にも、これに対し異議がないと認められる場合には、その変更に合意したものと解するのが相当である。しかし、就業規則の変更について労働者に異議があると認められる場合には、使用者は、異議のある労働者に対してはその変更をもつて対抗しえないものといわなければならない。このように解するときは、異議の有無により労働者の間に労働条件の統一、画一が保たれないという不都合を来すこととなるが、その不都合は、法規範的効力のない就業規則の改正によつて安易に事を処理しようとした使用者においてその責を負うべきもののように考える。

四、これを本件についてみるに、上告人を含む主任以上の職に在る者に対し、新たに原判示のごとき内容の停年制を定める本件就業規則の改正は、どのような意味においても、既存の労働条件を上まわる基準を定めたものとは解されないから、基準法九三条の適用を論ずる余地はなく、上告人が右改正規定に異議がないとは認められない本件においては、右改正規定は、上告人に対しては、その適用がないものというほかはない。しからば、被上告人が右改正規定に基づいてした本件解雇の意志表示はその効力がないものといわなければならない。
なお、被上告人は、右解雇の意思表示は、基準法二〇条の予告解雇の意思表示としてその効力がある旨主張しているが、上告人を含む主任以上の職員については、被上告人主張のように、解雇の事由についてなんらの制限がなく、したがつて上告人は基準法二〇条によりたやすく解雇される地位にあつたものと解することには大きな疑問がある。本件記録によれば、被上告会社の就業規則は、同規則二条一項に掲げる従業員を対象とするものであるが、その他の職員についても就業規則の全部または一部を適用することができるものとされており(同規則二条二項)、同規則五五条には従業員に対する解雇の事由を列挙的に定めた規定があるのであつて、右就業規則制定の際のいきさつやその後の規則の適用の実状いかんによつては、第一審判決も説示するように、右五五条は、解雇の事由を制限的に列挙したものであり(基準法二〇条の排除)、しかも上告人を含む主任以上の職員にもその適用があるものと解する余地がないではないと思われるからである。しからば、本件解雇の意思表示が有効であるかどうかを判断するには、右のごとき事実関係についてさらに審理を尽す必要があるものといわなければならない。
したがつて、停年制を理由とする本件解雇を有効であるとして、上告人の請求を棄却した原判決は失当であつて破棄を免れないが、本件解雇が被上告人主張の他の理由により有効であるかどうかを判断するには、さらに審理を尽す必要があるので、本件を原審に差し戻すのが相当であると思料する。

裁判官色川幸太郎の反対意見は、次のとおりである。

私は、横田裁判官、大隅裁判官の反対意見と概ねその見解を同じくするものであり、多数意見には承服しがたいのである。以下、私の考えるところを述べることとする。

一、多数意見は、「経営主体と労働者との間の労働条件は」、内容が合理的であるかぎり、経営主体の定めた「就業規則によるという事実たる慣習が成立している」となし、それであるが故に、「その法的規範性が認められる」とする。右にいう「その」とは、就業規則そのものをさすものであるのか、それとも、労働条件は就業規則の定めるところによるという慣習のみをさすものであるのか、必ずしも明らかでない。多数意見の全判示を総合すると、就業規則自体に法的規範性を認めるのがその基本的立場であると解せられるのであるが、叙上引用の判示部分は、就業規則の法的性格についてはふれることなく、労働契約を締結するときもしくはその存続中において、およそ労働条件は、就業規則の定めるところによるという事実たる慣習があり、その慣習に法的規範性が認められているのだ、としているにすぎないものの如くである。しかしながら、そのいずれであるにせよ、私は、以下の理由により、これに賛成することができない。

二、およそ、工場制生産その他これに類する事業場にあつては、多数の者の力を組織的に結集し、これによつて特定の事業を遂行するわけであるから、秩序と規律を欠くことができないし、同時に、労働条件についても統一的・画一的な処理がなされなければ、企業の円滑なる運営はこれを期待することができない。かくして就業規則は法の要請の有無にかかわらず必然的に産れてくるものなのである。そして、一旦それが制定されると、使用者の経済的・社会的な優越性の故をもつて、当該就業規則は経営内規範としての力を発揮すると同時に、新たに企業に編入される者は、事実上その定めるところを無条件に承認せざるを得ない関係に立つ。したがつて特別の事情のない限り、労働契約の締結に際しては、個々の労働者が使用者と契約内容の一々について商議決定することなく、就業規則所定の労働条件を、一括して而も暗黙の間に受け入れるのが普通となるわけである。この契約締結のあり方は、現在、いわゆる事実たる慣習を形成していると見ることができるであろう。しかしながら、これはあくまで、新規な契約締結の場合における現象であることを忘れてはならない。要するに、新たに労働関係に入る場合における労働条件決定のあり方た
るにとどまるのである。一旦労働契約が成立し、就業規則に定める労働条件に従つて労働力を給付し、賃金を受け取る関係が持続している間において、使用者が労働者の同意を得ることなく、まつたく一方的に、就業規則を変更して労働条件を切下げ、もしくは従来存在しなかつた不利益な労働条件を設定した場合、既存の労働条件が当然に変更される、という事実たる慣習が果してあり得るであろうか。もとより否である。多数意見も、よもやかくの如き慣習の存在を主張しているわけではあるまい。

三、労働契約締結の際における前示の如き事実たる慣習の存在は、いかなる法律上の意味を有するものであるかが、つぎに吟味されなければならない。多数意見は、事実上の慣習が成立しているが故に、ただそれだけの理由で、その慣習が法的規範になるとしているかの如くである。しかし、事実たる慣習は、契約を補充する作用を有するにすぎず、当事者がこれによる意思を有していたと認められたときに、はじめて、その慣習が法源となるにとどまるものであつて(民法九二条)、契約当事者の意思如何にかかわらず、これを規律する力を有するものではない。前示の事実たる慣習が、法的規範となるためには、労使の一般的な法的確信によつて支持せられ、両者の規範意識に支えられていることのために、契約当事者に対して強行せられるものでなければならないのである。もともと労働条件は、「労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきもの」(労働基準法二条。以下、基準法という。)である。これは、ひとり国家による要請であるのみならず、漸次成長しつつある労働者の規範意識であると認めることができるのである。したがつて、労働条件が使用者の一方的に定める就業規則による、という事実たる慣習は、法的確信の裏付けを欠くが故に、とうてい法的規範たり得るものではない。多数意見が、何らの論証をも用いることなく、民法九二条を引用しただけで、事実たる慣習が成立していることから直ちに、法的規範性の存在を認めていることには、納得し難いものがあるのである。

四、仮に多数意見のいうように、前示の事実たる慣習が何らかの理由で法的規範性を取得したとしても、法的規範となるのは極めて限定された範囲でしかない。すなわち、労働契約の締結にあたり、使用者と労働者との間の労働条件は(多数意見によれば、それが合理的な労働条件を定めているものである限り)、使用者の定めた就業規則による、というだけのことなのである。就業規則そのものが事実たる慣習でないことは、多言を要しないところであるから、就業規則自体は法的規範性を取得するものではない。いわば、内容を白地とし、その白紙部分の補充は使用者の一方的決定にまかされているという意味においての外枠のみが、法的規範であるにすぎない。ところで、多数意見の後段によれば、新たな就業規則の作成又は変更によつて、不利益な労働条件を一方的に課することも、当該規則条項が合理的なものである限り、そのことに同意しない個々の労働者をも法律的に拘束する、という理論が展開されているのである。これは、就業規則自体を法的規範と見たものだと考えない限り、理解できないところではあるまいか。而も、何故に、「経営主体が一方的に作成し、かつ、これを変更することができることになつている」就業規則が、法的規範性をもち得るのかという理由づけにいたつては、ついにこれを窺い知ることができないのである。

五、多数意見が、就業規則自体をもつて法的規範であるとするものであるならば、つぎの諸点が問題となるであろう。およそ法的規範は、契約の外にあつてその契約内容を規律するものでなければなるまい。法的規範が当事者の意思如何にかかわらず契約を支配するものである以上(少なくとも労働契約締結の場に関する限り、多数意見はかかるものとして理解しているようである。)、それが適法に変更せられた場合には、就業規則の定めるところが合理的であろうとなかろうと、契約内容は自ら変更を余儀なくされるべき筈である。多数意見によれば、法的規範である就業規則の一方的変更はもとより可能であり、したがつて適法だということにならなければなるまい。しかるに多数意見が、就業規則の一方的変更によつて労働条件を不利益に変更することは原則としてできない、としているのは、一体いかなる根拠に基づくものであろうか。のみならず、他面、その変更が合理的ならば、相手方の不同意にもかかわらず許される、とするのであるが、その理由は果して奈辺にこれを求めるのであるか、疑問とせざるを得ないのである。
さらにまた、多数意見は、就業規則の定める労働条件は定型であり、労働契約は一種の附従契約であるかの如く主張する。その当否は別として、もしそうだとすれば、労働契約が締結された場合、右の定型たる労働条件は、当該労働契約の内容を充填したわけであるから(就業規則が法的規範である限り、かくの如く、契約内容に化体するということ自体、そもそも私には考えられないのであるけれども)、それを当事者の一方が相手方の意思を無視して変更し得るというのは、およそ近代契約法原理の許容するところではないと考えるべきではあるまいか。

六、多数意見は、基準法が、就業規則に対する規制と監督に関する定めをしていることを挙示し、これをもつて、就業規則が法的規範として拘束力を有している証左だとする。しかし、基準法は、就業規則が使用者の便宜のために一方的に作成せられ、その優越的立場の故に事実上強行されている実態と、苛酷なる懲罰制度が猛威を振るつてきた歴史的事実に鑑み、最小限度の規制を加えんとしたに過ぎないのである。監督の手がかりとしても、届出の義務を課しているだけであつて、許可・認可の制度をとるわけではないし、さらに、制裁規定については若干の制約こそあれ(同法九一条)その余には及ばず、また就業規則の内容に国家が積極的に干渉するのは、強行法規又は労働協約に反した場合に限られているのである(同法九二条二項)。これらの規制のみをもつてしては、就業規則の広汎な内容を「合理的」ならしめる上に、ほとんど何ほどの力もないことは、言を俟たないであろう。もつとも、作成、変更にあたつては、労働組合ないし労働者の代表の意見を聴くべきことを命じてはいるが(同法九〇条)、同意を要しないことはもちろん、たとえ反対の意思が表明されても、それを無視して一方的に作成し変更することさえ容認しているのであり、かくして出来あがつた就業規則が、いかに使用者本位の、利己的で不合理なものであろうとも、強行法規や労働協約に反しない限り、国家はこれに、一指もふれることができないのである。これを普通保険約款や運送約款(いずれも契約の単なる事実上の基準たるものである。)に対する免許・認可等の規制(保険業法一条、一〇条、道路運送法一二条)に比較すれば、むしろ野放しであるといつても過言ではあるまい。かくの如き有名無実にも近い「監督的規制」をもつて、就業規則の法的規範性を裏付けんとするのは、甚だ無理な話ではないであろうか。
もつとも基準法九三条は、就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とされ、無効となつた部分は就業規則で定める基準による、としているので、一見、これによつて国家が就業規則の法的規範性を認めたかの如くであるが、これを労働協約の直律強行性を定めた労働組合法一六条と比較するのに、基準法九三条は、無効とする範囲を、就業規則で定める基準に達しない労働条件に限定し、その部分を否定するだけである点において、労働組合法の規定とは少なからざる差異があるのである。その立法の趣旨も、要するに、就業規則は使用者が一方的に作成、変更するものであつて、労働協約とは趣を異にし、その内容は必ずしも労働者の利益に即するものではないが、時として使用者は、その優越した立場の故に、就業規則所定の線にさえ達しない低い労働条件を、個々の労働者に押しつけることがないともいえないので、かかる場合、弱者たる労働者を保護するために、特に設けたものと解せられるのである。仮に就業規則が法的規範であり、労働契約の内容は、当事者の意思いかんにかかわらずその定めるところによるものであるならば、特に規定を設けるにも及ばない筈であるが、しかし、就業規則は、後に述べるように、事実上の契約基準たるにとどまるのであるから、使用者が、個々の場合に、その定めるところをすら無視して、就業規則所定の労働条件を下廻る条件を労働者に強いることも、法律上十分可能なのである。もしかくの如き事態を放任するにおいては、常時十人以上の労働者を使用する使用者に、法定の内容を具えた就業規則を作成し、届出をなす義務を課した規定(同法八九条)の趣旨は、まつたく没却されることにならざるを得ない。使用者に作成、変更の自由のある就業規則に対して直律強行性を付与することは、国家法その他の法的規範及び自由意思に基づく契約によらないで、個人の権利・義務を左右せしめることになるわけであるから、近代法の原理にそわぬものなしとはしないのであるが、労働者保護法たる基準法の建前上やむを得ざるに出たものと解すべきであろう。この一カ条があるの一事をもつて、国家が使用者に法的規範たる就業規則を作成、変更することを授権したものだ、と解することはとうていできないのである。多数意見も、国家の授権に法的規範性付与の根拠を求めているわけではないようであるが、それならばなおさら、当該法条をもつて何らかの裏付けにするわけにはいかないものと思われる。

七、就業規則が経営の要請に基づく、自然発生的な必然の所産であり、経営内の規範として機能していること、個別的に締結される労働契約の内容は、就業規則による定型的な労働条件を鵜呑みにせざるを得ないのが実情であり、それは現在においては、事実たる慣習と化しているといえないこともないこと等々については、既にふれたところであり、この点では多数意見と必ずしも所見を異にするものではない。しかし、就業規則は、発生の沿革、形成の過程及び妥当の根拠などの点において、国家法その他の法的規範とは比較すべくもない相違点を蔵しているのである。
法は正義を指標とするものであるが、就業規則は、所詮、一使用者の利益保持に奉仕するものにほかならない。就業規則中には労働者の利益擁護に資する部分もないではないが、それが就業規則中に存するのは、労働者側の主張に従つてとりいれられた場合でない限り、いわば開明的専制君主の自己制約にも似たものであり、結局において企業の利益に合致するとしたが故である。いま、現実に生きている凡百の就業規則をアトランダムに取りあげて検討するならば、構成の不均衡、表現の不適切はいうに及ばず、人は、前後の矛盾撞着、用語の曖昧模糊、ほとんど救うべからざるものあるを知るであろう。これをしも法的規範だとすることは、健全なる法感情のとうてい許容し得ないところといわざるを得ない。

八、本件における問題点は、従来停年制の定めのなかつた職種について、使用者が一方的に就業規則を改正することによりあらたに停年制を設けた場合、関係労働者の反対にもかかわらず、反対した労働者にこれを適用し得るかというところにある。以下これを検討する。
(イ) 使用者が就業規則を一方的に変更しうるものであることについては、既に判例の存するところである(当裁判所昭和二五年(ク)第六五号同二七年七月四日第二小法廷決定、民集六巻七号六三五頁)。その変更が労働者にとつて利益たると不利益たるとは問うところでない。しかし私は、不利益変更によつては、既存の労働契約の内容が当然に変るものではないと解する(利益に変更した場合には、変更後の就業規則による労働条件が最低基準となり、基準法九三条によつて、それに達しない既存の労働契約の当該部分が否定され、無効になつた部分については、変更後の就業規則がその穴を埋めることになる。したがつて何ら問題は生じないのである。)。
もともと、労働契約締結の際に存在した就業規則所定の労働条件部分は、契約の内容に化体したものであるから、一旦成立、確定した契約内容を、当事者の一方がほしいまゝに変更しうべき道理はないのである。就業規則所定の労働条件部分を一方的に変更し、これを公にする行為は、既成の契約内容を変更したいという申入れ以外の何ものでもない。相手方たる労働者がこれに同意を与えない以上、当該変更部分は法律的拘束力を生じないのである。
なお、もとより右の同意は明示たることを要しない。労働者が特に反対の意思を明示することなく、変更された労働条件に従つて就労していれば、ここに暗黙の同意があつたとみて差支えないであろう。もし変更が一方的になされたものでなく、労働組合との協議を経て行なわれ、労働協約の形式をもつて妥結した場合ならば、基準法九二条の定めもあることであるし、その協約適用下にある個々の労働者の反対は、まつたく意味をなさないことになる。事の実際は、右のいずれかによつて処理せられるものと見て、誤りがあるまい。仮にこれらの方途によることができず、あくまで反対の態度を堅持した労働者があつたときは、その範囲では労働条件の画一性を欠く結果とならざるを得ないけれども、しかし、そもそも使用者が、一旦約束した労働条件を、一方的に労働者の不利益に変更しようとすることは、たとえそれが客観的条件の変動に起因するにもせよ、労働者から見れば一種の食言なのであるから、反対の声のあがることも当然なのである。この場合、使用者としては労働者ないし労働組合に対し、誠意をつくして説得に努むべきであつて、その努力を怠つたときは勿論、説得がついに不成功に終つた場合でも、そのために労働条件の画一性を欠くという経営の蒙る不利益は、使用者の甘受せざるを得ないところともいえるのである。
(ロ) つぎに問題となるのは、本件停年制の新設が、就業規則の不利益変更かどうかということである。多数意見の見解は、この点においても直截ではないが、一方において「労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されない」としつつ、他方において、変更の結果たる「条項が合理的なものである限り」適用の拒否は許されないという理論を前提として、本件の変更が不合理でない所以を縷々説示しているのであるから、不利益変更と見た点において原審の判断を支持したものと解すべきであろう。記録によれば、上告人は既に五五歳を過ぎていたのであつたが、停年制がないので管理職として平穏に稼働していたところ、突如として就業規則の一方的改正がなされ、五五歳停年制の即時施行となり、日ならずして停年を理由とする解雇の通知を受けたというのであるから、終身雇用の期待が既得権的なものとして認められると否とにかかわらず、上告人にとつて労働条件の不利益変更たるを免れないのである。多数意見は五五歳の停年制をもつて合理性ありとなし、その限りでこの一方的不利益変更を有効だとする。就業規則が、使用者の一方的に設定、変更しうる法的規範であるならば、その変更が「合理的」であつてもなくても、有効だと考えられるのではないかと思われるが、それはともかくとして、「合理的」か否かについて、これを決定する基準が一体あるのであろうか。疑問の余地なしとはしないのである。労使の関係を見ると、特に配分の面において、相互に利害相反の鋭い対立を示していることを知るのであるが、配分の問題で意見の相違があつた場合、いかなる理由でいずれの主張を「合理的」であるとするか、そのための準繩これをいずくに求め得るか、これが問題なのである。配分の場合だけではない。およそ廉価にして質の高い労働力をできるだけ少なく用いて、最大の生産性を達成しようというのは、使用者にとつての至上命令であるが、労働者にとつては、これこそ労働の強化にほかならない。いわゆる経営の合理化は、使用者の立場に立つ限り、疑もなく「合理」性をもつが、労働者にとつて見れば、不合理極まる一層の搾取なのである。本件におけるが如き五五歳停年制については、若年労働者と高年齢労働者との間に、見方の相違があることは事実であるが、使用者が推進し、一部の労働者がこれを歓迎するからといつて、それだけで「合理」性ありとするわけにはいくまい。五五歳の停年が一般に妥当と認められていたのは、次第に過去のことになりつつあるのではないか。肉体労働者についてさえ停年年齢は徐々に延長される気運にあり、管理職にいたつては五七歳ないし六〇歳をむしろ普通とすべく、中小特に零細企業においては、停年制の設定は、経営を却つて困難ならしめるが如き事情が醸成されつつあるのであつて、五五歳停年制を合理的だとする多数意見には疑なきを得ないのである。

九、以上の理由により、私は、多数意見に賛成することができないのである。原審は、就業規則に関する法理を誤解し、上告人の請求を棄却したのであるから、破棄すべきものであるところ、被上告人の仮定抗弁についてなお審理をする必要があるから、これを原審に差し戻すべきものと思料する。

最高裁判所大法廷
裁判長裁判官    横   田   正   俊
裁判官    入   江   俊   郎
裁判官    草   鹿   浅 之 介
裁判官    長   部   謹   吾
裁判官    城   戸   芳   彦
裁判官    石   田   和   外
裁判官    田   中   二   郎
裁判官    松   田   二   郎
裁判官    岩   田       誠
裁判官    下   村   三   郎
裁判官    色   川   幸 太 郎
裁判官    大   隅   健 一 郎
裁判官    松   本   正   雄
裁判官    飯   村   義   美
裁判官奥野健一は、退官のため署名押印することができない。
裁判長裁判官    横   田   正   俊

 

 

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